某カフェで人生が狂った話 その5
オススメのスタバ店舗余談 国内編
兵庫県神戸市、元町駅から徒歩15分ほどの位置にあるスターバックス。
メリケンパーク内なので自然も少し楽しめるとっても心に良い店舗。
ここに行くために私は首都圏から飛びました。死ぬほど行きたかった店舗。
中々行ける機会はなく悶々としていたけど遂に…遂に去年の年末に行くことができた。
コロナ禍だったからソーシャルディスタンスを取りながら行った。
神だった。
店舗内の建築様式が神っていた。
もっと言葉にしようと思ったけど、惚けていて正直あまり記憶がないと言うのが本音だ。
実際に行ってみて自分の目で確かめてほしい。
特にテラス席に高級仕様のソファが設置されているというのが最高だった。
ド級の冬気温だったので私はソファ席には座らなかったが春や秋には最高の席だと思う。
私自身は
もう、ここに住む
くらいの勢いで堪能した。
何より座った席の目の前に大阪湾が広がっていることが良い。
そのいっときだけ人生の辛いこと全てを忘れることができた。
そこにいる時だけ頭の中を空っぽにできた。
神戸メリケンパーク店様
私に最高の時間を与えていただき本当にありがとうございます。
私より
店員さんのお姉さんの対応もふわっとしていて癒された。コロナ禍で大変な接客なはずなのに笑顔をありがとう。一生忘れない。
また店舗余談だけで500文字強。
もう少し簡潔に頑張ってほしい。
さて、本題のスタバに変えられし人生編。
※自分語りが強めになってくるので注意
※スタバ要素弱めになる時もあり
(少しシビアでネガティブな要素が強くなってくるけど、それでも良いという方は先へ進んで欲しい。
今後とも綴っていくつもりなので、よろしくお願いします。)
高校3年生の春を無事に迎えクラス担任も絶対王政系女史からほんわかお爺ちゃん担任になり、ストレスは無事なくなった…かと思いきや、そんなことは全くなく
???『え、担任もクラスの人もいい感じの人たちばかりなのにどうしてなの?』
そう、遂に奴が訪れた
その名も
受験
これを好きだという人は、ほぼいないと思う。
むしろ苦い思い出ばかり、挫折した、二度と経験したくないという人の方が圧倒的に多いだろう。
私の場合はここに家庭の鬱的問題も相まって相当病んでいた。家から、家族から逃げるようにスタバに通う頻度も格段に上がった。
そして、そこから本格的にスタバで集まる輪は広がっていった。
………………
私には悪癖があった。
それは自分の友人同士を会わせること。
輪を広げるという意味ではとても良い武器となるが、その友人同士の関係性の変化により和を壊す引き金への第一歩にもなる。
それに関しては直そうと思っても中々直せるものではなく、未だに自分の中に悪癖として残っている。
とは言えど当時よりはかなり気を遣うようにはなり、今は割と平穏な日々を送っている。
ただ、これを全否定してしまうと自分の人生を全否定する事になるので悪癖そのものを温かく包む事にしている。
これを読んでいる皆も、自分の悪癖は良い方向に直しつつ温かく包み込んであげてね。
それは自分のアイディンティティの1つでもあると思うから。
………
いや、スタバの話は?????????
だいぶ暗い方向に話進んじゃったよ!?!?
そう、これから語っていくのはスタバの輪が広がっていって段々和へと変化していった話。
スタバへの熱と和の変化をご堪能ください。
私は圧倒的に数学ができなかった。
しかし、進みたい分野は理系だった。
文系は親への反発心から進みたくなかったのだ。
政治方面へと強かった父親に毎日夕飯帯にニュースを見させられ、語られ、学び、意見が合わずに喧嘩して、娯楽に関しては親と話す事は一切無く、兄弟がいなくて寂しいだろうなという理由で申し訳程度にモノだけが与えられる1人っ子だった。
世間体をかなり気にする父親は私に「良い大学へ進め」、それなのに「進学させたり塾に通わせるお金は無い」「政治なんてつまらないから勉強するな」という罵詈雑言をほぼ毎日くらっていた。
少なくとも中学時代は社会という分野が好きだったはず。それだけはクラス1位を取っていた。
だが、高校時代に入ってからは一切手を付けなくなった。親と同じ分野を学びたく無いと強く思ったからだ。
それと正反対の分野である理系方面に進みたい、と高校1年生の時に思った。
しかし、それを担任に大反対されるくらいには数学が壊滅的だった。(壊滅さに関しては、後のブログに綴るよ)
そこで私は断念してしまった。熱意が足りなかったし努力が足りなかったと言う点で、今でもその事はだいぶ後悔している。
やりたい事もなく、思い描く将来の夢もなく、進みたくも無い文系クラスに不本意ながら進み勉強意欲そのものも酷く落ちていった。
そして迎えた受験生。
「まじで文系分野でやりたい事がない。」
から始まり理系を志したものの
文系クラスという環境や理系を勉強できない環境から目を逸らすように、その上に父親からの"良い所に行け"という圧により現実逃避で自分が到底届かない学校のHPを見るようになってしまった。
そして、家から、家族から逃げるようになってしまった。
その行き先が前述の通り
スタバ
正直、Starbucks Japanには感謝してもしきれない。
此処がなければ私はどうなっていたんだろう、と。
高校3年生の5月ごろから、私はスタバで自分がしたい勉強をするようになった。
その時に再会したのが同じく受験に苦しむ、中学時代を共に過ごした友人だった。
再会した友人に
「スタバに行かない?」
という私からの誘いの一言で歯車が進んでいった。
今でも思う。
人生は常に岐路の選択の連続だが、私の大きな大きな分岐点はここだった。
ーフラペチーノは私の提灯だったー